なんちゃって百人一首第70首への思い

       寂しさに 堪えて泣いたと 話す義母

       辛抱我慢 あらゆる言葉

 

大正3年3月14日

キミイおばあちゃん(義母)は

7人きょうだいの長女として

会津若松で産声を上げた

 

2年後に次女が生まれたが

2歳になるかならないかで亡くなっている

可愛がっていたのですごく悲しかったと言っていた

 

おばあちゃんの実家は農家だったので

田植えの手伝いや

野菜の引き売りでリヤカーを押して歩いた

 

高等小学校時代に

野口英世の講演を聞いたらしく

遠~い遠~い親戚だよと聞いていたので

よく覚えていると言っていた

 

「でも女癖は悪いんだよ・・・・」

なんても言っていました

英雄色を好む・・・・!?

 

田圃へ入ると具合の悪くなるおばあちゃんだったので

 

行儀見習いという形で

東京目黒の親戚(内藤家)へ預けられた

 

15~6才頃の事だ

 

内藤家には5人の子供がいて

子供の母親が病気がちで

おばあちゃんが一手に引き受けていたようだ

 

昼間は雑用に紛れて寂しさどころではなかったが

夕方のちょっとした時間

夕日を見ていると泣けて泣けてと言っていた

会津へ帰りたい・・・・・と

 

内藤家には朝丘雪路さんのお父さんで

伊藤深水さんなどが出入りしており

絵を描いてくれたそうですが

興味のなかったおばあちゃんは

その絵をどこかへやってしまったらしい

 

水泳で金メダルを取った

前畑秀子さんの祝賀会にも参加をしている

 

買い物にいくと

忠犬ハチ公に出会っている

 

夏になると避暑と称して鎌倉へ行き泳ぎ三昧

 

マンドリン・マンドセルなる楽器を習ったり

諏訪根自子さん(バイオリン) の

コンサートへ行ったり

その話を聞いていたので

前橋汀子さんのコンサートへ娘と3人で出かけたのですが

途中からグーグーいびきをかいて寝てしまうので

娘とわき腹をチョンチョン

残念なコンサートにはなりました・・・・

 

今にして思えば

大変な中にも

楽しい思い出でじゃないかなーと思うのだが

 

いちばん楽しかったことは

やはり勝ち負けのある百人一首だったと話していた

 

誰よりもたくさんの札を取ったことを

嬉しそうに自慢していた

 

月日は流れ

子供のいない和菓子屋さんと

秩父で夫婦養子縁組をしたが

 

有ったのは財産ではなく借金だったらしく

養子縁組を解消しようとしたそうですが

 

おばあちゃんの母親が会津から駆けつけてきて

ひと言いったそうだ

「借金も財産と思え」

さすが会津魂!!

 

必死で働いて和菓子屋を盛り立てたが

途中

小僧さんにお金を持ち逃げされたりして

散々だったようだ

 

戦争になり

砂糖も手に入らなくなり店じまい

 

それからは5人の子育てに奔走し

96年と11か月の生涯

 

 

 

本日も お読みいただきましてありがとうございます(#^^#)

 

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